死に向かって生きる

双極性障害でも生きてます

希死念慮

昨夜、姉と電話で言い合いになり、薄れていた※希死念慮 が強くなってしまいました

※死にたいと願う気持ちが強く付き纏う状態

 

事の発端は『ボランティア』

まずはこの『ボランティア』の定義

 

日本において、ボランティアとは一般的に自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指す

ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、先駆性である

Wikipedia引用』

 

私は地域の飼い主のいない猫達の餌やりと不妊治療をするボランティア

(仮の呼び名が無いのでこれを使用)をしています

現在、私は療養中の無職です

お金の掛かる事は出来ません

だから、自分の得意とする事で行動で活動をしています

猫達の餌は寄付をしてくださった物を使わせて戴いたり

安い時に自分の出来る範囲で購入したり

不妊治療費は『どうぶつ基金』の無料チケットを戴いて行っています

送迎などの経費は実費になりますが、捕獲器は預り金で獣医さんから無償で貸出しがあります

極力お金が掛からないように活動をしています

そして

私の得意としてる分野はこれです

 

『文章を書く事』

 

決して上手では無いとは思うんですが、『好き』な事でSNSを使って発信しています

誰も読んで無いと思っていたのに10人、20人とフォロワーさんが増えていき、

ありがたい事に私を援助してくださる方も出て来ました

だからと言って私が出来る範囲は決まっています

私の障害の範囲で自発的で公共的、先駆的で出来る事

私の力量以上には活動出来ない事、

私の病状ファーストである事、

近所の迷惑にならないようにルールに従う事、

大まかなこの3つを色々と模索した後に心に刻んでやってきました

 

姉は「猫のボランティアをしてる」事は知っていますが

私がどんな風にどんな活動をしてきて、どんな実績を上げたのかは知りません

なのに…

 

『貴方みたいな療養中の自分の事も出来ない人がボランティアって信じられない』

 

 

と言われました

また別の日にはこうも言われました

 

『ぼっーと1日お茶飲んで過ごして終われば良いじゃない』

 

どう言う事?

良くも取れて、悪くも取れる

 

『焦らずにゆっくりと病気を治して』

精神障害者なんだから何もするな』

 

ただでさえ自己肯定感の低い私は後者に受け取れてしまって…

 

私が思うに人それぞれに物事の基準があって、

考え方の違いもある

それは当然の事なんだけど、発する言葉には慎重にならなといけない

言葉は2度と取り消せないから

その人の立場になって言葉を吟味して言わないとなって

自分を含めてそう思います

 

今回の事で私は家族とあまり近い距離を持ってはいけない事が分かりました

お互いの負担にならないように一定距離を取る

家族なのに他人と付き合うみたいで寂しいけど

仕方ないですね

母は高齢者

姉は働きながら、その母の面倒をみてストレスあるだろうし

その上に私の事…

あまりにも胃の毒です

家族意外にも相手に負担を掛けず、相談できる場所をみつけました

双極性障害の患者の会です

4月からはそこでコーカウンセラーさんのカウンセリングを受けたいと思っています

 

いくら他人に相談しても、決定権は私にある

 

この事を念頭においておかないと『依存』になるので

そこは注意していきたいところです

 

今日もお天気が曇ったり、雨降ったと思ったら晴れて…

スッキリとしませんね

私の心もお天気と同じでスッキリしません

早くお天気が安定して、すっかぁ〜と晴れあがった空を見上げて深呼吸したいものです

 

では、皆さん午後からも素敵な1日をお過ごし下さい

 

また明日